【ブログ】相手を心配する気持ちとエゴに気を付けたい

人に対して優しくすることは尊いことと称賛されがちですが、それは時と場合によっては気を付けなくてはいけないなと考えます。

「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という言葉があります。

「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」とは
ライオンは生まれたばかりの我が子を深い谷に落として、そこから這い上がってきた子のみを育てるとされている。このことから、本当に我が子を深い愛情を持って育てるということは、わざと厳しい試練を与えて成長させるということである。

これって実際にライオンがやるのかと言うと、そうでもないみたいです。
このぐらいの気持ちで育てることが大切だという”ことわざ”とのこと。

人を育てる仕事や立場の方ってたくさんいらっしゃるかと思いますが、部下の育成や子育てなどにおいては、自分の気持ちよりも相手の性格や思考パターンなど踏まえ、その人の未来を考えた対応になっているかが大切だと考えます。

例えば、試験に向かう子供のことを心配する親がいるとします。
合格発表を聞いたとき親は自分のことのように喜び、子供にこう伝えます。

「あなたの合格のために神社でお祈りを続けていたんだよ」

これって一連の流れを通して、親が自分自身のメンタルの安定のために神様にお祈りをしていて、合格した時自分の不安要素がなくなり、ただ自分が安心しているだけなんですよ。

自分が不安で不安でしょうがないんですよ。自分の心を落ち着かせるためにお祈りしたいだけなんです。

もし本当に相手の立場に立って考えるのであれば、おいしい食べ物を準備したり、あったかいお風呂を沸かすなど、自分の気持ちよりも子供のメンタルや体調が落ち着くことを優先してあげるのが良いのではないでしょうか。

つまり、人を心配する気持ちの多くは、自分の気持ちを早く落ち着かせたいだけなんじゃないかなといつも思うのです。

他にもいくつか例を挙げてみます

仕事:上司が部下を“心配する”という名の過干渉

上司が「あなたの成長のため」と言いながら、

  • 何度も口出しをする
  • 自分の判断を押し付ける
  • 部下の失敗を必要以上に恐れる

実は部下の成長を思っているのではなく、 部下が失敗すると自分の評価が下がるのが怖い、もしくは会社の利益が下がるのを恐れている。

恋愛:パートナーを心配する“束縛”

「あなたが心配だから」と言って

  • 連絡を頻繁に要求
  • 行動を制限
  • 異性との関係に過度に介入

これは相手の安全を思っているようだが、自分が不安になりたくないだけ。
相手を守るためではなく、“自分の安心を守るための行為”になっている。

SNSでの“正義の心配”

「こんな発信をすると傷つく人がいるよ」と心配するユーザー。
でも実際は、

  • 自分の道徳観が正しいと示したい
  • 自分の気に食わない意見を抑えたい
  • “注意した自分”に満足したい

というエゴが入り込む場合がある。

同じような考えを持つ哲学者や宗教家について調べてみた

① アラン(フランスの哲学者)

著書『幸福論』で「心配とは、実際には自分の不安の投影である」と述べています。
心配していると言いながら、実は“自分の落ち着かなさ”をどうにかしたいだけだと説いています。

② ニーチェ

ニーチェも「同情や心配はしばしば自己満足である」と批判的。
本当に相手を助けたいのではなく、“助ける自分が好き”という心理が隠れると指摘しています。

③ 仏教(特に大乗仏教の考え方)

仏教には「執着」という概念があります。 親が子どもを“心配”し続ける時、それは愛ではなく「執着(コントロールしたい気持ち)」になりやすい、とされています。
僧侶の中には次のように語る人もいます。
「心配は愛に見えるが、多くは不安を消したいだけの“我執”(がしゅう)である」

④ アドラー心理学

アドラーは「心配は相手の課題に介入しようとする行為」と言っています。
つまり、相手の人生に“口を出して自分が安心したいだけ”という面がある。

これまでに多くの哲学者や宗教家・心理学者が触れてきた深いテーマなんですね。

まとめ

相手を心配する気持ちは悪いことではありません、むしろ大切なことだと思います。
ただし、そこで少し立ち止まっていただき、

「相手のメンタルや体調、未来のことを本当に考えているのか?」
「自分が心配する気持ちが強いだけなのか?」
「自分の不安な気持ちを落ち着かせたいだけなんじゃないか?」
「ただ自分の意見を言ってすっきりしたいだけではないか?」

などと自問自答することは大事なんじゃないかなと思います。

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